アジアクルーズ日誌

3日目 神戸港~那覇沖

投稿日: 2012年2月4日

20110126

 

7時起床。左舷後方に朝日が空を染める。

だが、二重窓で、しかも汚れているため、船室から撮るわけにはいかなかった。

恐らくこの日の出も、荘輔さんはデッキで撮り終えたのだろう。

船は、既に鹿児島の大隅半島、志布志湾の内之浦沖を南下している。

朝食後にパソコンルームに入り、メールを確認する。

バンコックの石沢君からは、水上マーケットとウイークエンドマーケットを、

やはり、日曜日1日で回ろうと書いてきた。

2ヶ所が離れているので、少し無理させてしまうのが申し訳ない。

再度、考え直してみよう。

9時には、大隅海峡を通過。本州とは、そろそろ離れるのだ。

種子島の先の屋久島を今回は、眺められるだろうか。

 

9時15分から規定の避難訓練が始まった。

救命胴衣は、洋服ダンスの最上棚に収められている。それを下ろして、体に付けた。

胸回りを締める紐の長さが不足した。胸囲が増えた訳でもないのに・・・。

後で新しいものと交換しておこう。いざというときに役に立たない。

こういう不測のことってあるから、訓練は必要なのだ。

 

我々の指定されたデッキは「左舷の4番」である。

5階の船室から、8階のボートデッキまで、階段を整然と上がっていく。然し、船が揺れてきた。

足が不自由な船客は、手すりに頼らざるを得ないのが気の毒だった。

地下から湧いたように続々と甲板に集まってくるこの訓練時、

いつもは思わぬ知己との出会いがあるものだが、今回はなかった。

朝食の早い人、夕食が二回制で会えない人、ゲームイベントに出て来ない人なども、

この避難訓練は全員参加であるからだ。グループの責任クルーからの説明と点呼が終わって、

胴衣を部屋に戻す。この後のスケジュールは、オプショナル・ツアーの説明会がある。

7階で珈琲を飲みながら時間を過ごすことにした。

妻は、11階のオブザベーション・ラウンジで開かれる中国茶教室に向かった。

日本中国茶芸師協会副理事長の山田伊津子さんが講師だ。

ところが、船酔いの薬が効きすぎて、半分は居眠りしていたと聞かされたのは、

8階のメインホールでのツアー説明会に座った時だ。ツアーディレクターのしゃべりに感心した。

 

にっぽん丸の内山ディレクターとは大いに違い、

現地体験も自らが歩いて観たことを観光客の目線で語る。

現地のガイドからの受け売りでない、自分の好奇心と知識の量から淀みのない語りは、

原稿無しである。その説明が聴く者へ安心を与えた。さらに言えば、

寄港地のスライドの種類も豊富で解りやすい。

目的の観光地周辺の空撮写真もネットから取り出しているし、

初めての寄港地では、税関への通路写真までも撮ってある。

いわゆる観光本から転写したよう写真ではなく、

自ら歩いた街中の商店街のスナップまで投写してくれている。

昨年の正月クルーズでは気づかなかったことだ。似かよったアジアと言えども、掴み取れた。

この点は、今後、にっぽん丸スタッフ、見習うべし、だと思った。

 

続いて7階のメインラウンジで、目黒正武氏(世界遺産アカデミー主任研究員)による

講演「アジアを代表する世界遺産」を聴く。

今日から5回シリーズで、世界遺産の諸々をレクチャーされる。

ナイヤガラや富士山が世界遺産にならない理由を知っている人は少ないだろう。

それは、「世界唯一無二」という選定基準から外れるからであった。納得した。

前者は、イグアスの滝にも劣り、後者は、塵の山だからと野口健さんの働きかけで、

クリーン化運動が起きたこととは別問題だったのである。

富士山は、スカイラインという現代的な土木工事がなされ、なおかつ、山麓には、

陸自の演習場が有るため、キリマンジャロと比較しても「単山」としての価値が劣るからなのだ。

このため、描かれたり、パワースポットとしての文化ポイントと、

サムライの鎌倉を抱き合わせて世界文化遺産に推薦しようと検討に入ったのである。

今日は忙しい。終わって15分後の15時には、8階のメインホールで、太極拳教室の初回に参加した。

 

講師は、日本武術太極拳連盟公認1級審判員の高木富美子さん。

7名ほどの男性も交えて、およそ20名の受講生が基本動作を習うのだが、

船の横揺れが激しくて、片足への体重移動がなかなかバランスを取りにくく、

弱った。

初回のはずなのに、初めての受講生は、どうやら、僕を含めても、4人もいないようだった。

ダンスステップのように、どこかに足運びのラインを書いてくれれば憶えやすかろうに、

遠くの壇上の宣誓の足下を見つめるだけでは、憶えきれない。

体重移動を頭に入れていると、手の動きが止まってしまう。見た目よりも難しいぞと、困惑した。

それでも、45分を経過したときには、さすが、太極拳、僅かな畳一畳ほどの運動で、

背中に汗をかいていた。部屋に戻ってみると、妻は横になっていた。

酔い止めを飲んだからだ。BSTVでは、韓ドラ「ガラスの城」が終わりかけていた。

部屋のシャワーを初めて浴びた。

 

第1回目のフォーマルナイト(ぱしびでは、

グランド・オープニング・パーティという)の為に、すっきりしたい。

現在16時33分は、アモイへ南下するトカラ列島、宝島の北を航走中。船の速度は、16.6ノット。

時折、船底で波を叩いている音が響いてくる。大きな揺りかご状態が続く。

50分からの20分間が、オフィサーとの記念写真の時間に設定されている。

写真を撮らない我々は急ぐことはない。17時半に間に合うように、着替えればいいのだ。

と、パソコンで日記を叩く。時間になった。久しぶりにタキシードを着るのだ。

もうあと、何回桜が観られるだろうかとはいうが、今の心境は、

もうあと、何回着られるのだろうかと、自分の体調を気にする。

透析になれば、船には乗れないからだ。

外国船でさえも、透析医療器を載せているクルーズ船は少ない。

毎日、4時間もベッドを占拠してしまうのでは、ベッド数に限りがある。

よしんば、簡便な透析医療器を船側が自室へレンタルしたとしても、

ナースを含め、その費用と数に限度はある。

乗れなくなる日が近づいていることも確かなこととして受け止めている。

 

タキシードも着慣れてきた。

名古屋時代のクライアントだった御幸毛織のベテランカッター、

深谷太一さんが仕立ててくれたものだ。

何処に出ても恥ずかしくないからと太鼓判なのは、人物ではなくて、タキシードの方だが。

タイは3色、カマーバンドも三色。太一さんからプレゼントされたプリーツのついたドレスシャツは、

さすがに気恥ずかしくて、駄目だ。時計もブラック。足もエナメル。

フォーマルナイトの回数が多いと、ダークスーツで済ませるのも、

モッタイナイと、船に持ち込むのだが、皺にならないようにと厄介である。

カマーバンドの上、3個のアクセサリー・ボタンを付けるのが、さらに、厄介そのものだった。苛つく。

最初の頃、このフォーマルナイトが七面倒臭くて嫌だったのは、そのボタン付けだった。

 

さて、ぱしびのフォーマルナイト、いわゆるウエルカム・パーティだが、

前回の時は、7階のメインラウンジだった。今回は、8階の船尾にあるメインホールだ。

あのがらんとした広さをどう飾り付けするのだろうかと興味が湧いた。

8階のエレベーターの出口からホールへと続く通路は、長蛇の列だ。

これは、どの船でも同じ。相変わらずだ。ただ、この行列が、僕には苦手だ。

女性陣の眼力の鋭さには火花が見えるようだ。頭のてっぺんから、足下まで、

品定めをする光線がバチバチ音を立ててぶつかり合っている。そんな無言の火花なのだ。

ミドルクルーズの今回は、まだしも、これが、世界一周というロングクルーズにでもなると、

この日のために寄港地で買い揃えたであろう、ちょっと変わったアクセサリーや衣装で

おめかししてくるご婦人が目立つ。夫族は、その夜、奥方からどういうおねだりをされるか、

戦々恐々だそうだ。

 

入り口には、キャプテン、機関長、チーフパーサーの三役が礼服で出迎えてくれている。

リピーターは、そこで、三人にそれぞれ、二言三言久しぶりの挨拶をするから、さらに、渋滞が増す。

そこを抜けてホールに入った。お見事。

軽量なパイプ椅子ではあるが、オリエンテーション時の椅子とは異なる。

それなりに洒落たものが白いテーブルクロスをかけた円卓の回りに配置され、

テーブルには、キャンドルライトが揺れている。周囲の窓カーテンを見なければ、

ちょっとしたホテルのパーティ会場となっていた。

イベントスタッフのことを、ぱしびでは、ソーシャルスタッフと称している。

多目的ホールにスタッフの苦労をうかがい知る。ご苦労様。

今晩は、菅井夫妻と示し合わせずにホールに入ってしまった。入り口を見張って、手を挙げる。

意外にも美子さん独りだ。わけを訊くと、あの荘輔さんが船酔いをしてしまったらしい。

食前酒の飲み過ぎではなかったのかと、混ぜっ返した。

 

中央ステージの檀上には鏡割りの酒樽が、右端のフロアーがバンドステージ。

ステージに当てられたスポットライトに浮かんできた由良キャプテンが挨拶。

そして、恒例の副船長、機関長、以下勢揃いしたクルーズスタッフの自己紹介だ。

機関長の挨拶によると、今回の1ヶ月クルーズのために、IHI(石川播磨)のドッグで10日間、

    入念な機関チェックをしてきたと言う。安心してクルーズをお楽しみ下さいと。

   船客から拍手が起きた。

 

クルーズで、カクテルパーティと称されているが、乗船していない方々に、これが興味津々のようで、

よく質問を受ける。然し、腰が退けるほどのものではない。

テーブルに座って、その席で同席した僅かな数人の方々と、

運ばれてきたカクテルを口にして話をするだけだが、キャプテンの一連の挨拶が終わったら、

バンド演奏が少しあってお開きになってしまう。いわゆる、パーティという、

人の間を縫って互いに紹介し合うといった様式も時間もないのだ。ほんのひとときの真似事である。

ましてや、カリブ海でのショートクルーズは、フォーマルドレスコードなしのカジュアルスタイルである。

2003年には、怖さ見たさの、興味があったのだが、肩すかしを食った思いがある。

そうなんだ、日本船なのだし、日本国内では「豪華」客船と言われているが、

世界のクルーズ船は、その3倍以上、オフィスビルのサイズなのだ。

フォーマルナイトのフロアーでは、カクテルが運ばれている。

ホールでのサービスは、普段は、カフェバーでサービスをしてくれているのは、

日本語もできるヨーロッパの女性達である。

ぱしびでは、カクテルの種類が何をシェイクしたのか、説明がない。

その名称も種類も訊かなければ不明のままに配られる。

にっぽん丸の方は、メニューカードも添えられているし、こうしたパーティでは、

その発案バーテンダーが、説明するという場を与えられているから、拍手も受ける。

シンプルと言えばシンプルだが、なんとも味気ない。

どの船もそうだが、カクテルを一杯飲み終わる頃には、ダイニングへ急げと言う。

話が中途で立ち上がる。つまりは、セレモニーの形を取ったと言うだけで終わるのだ。

余りにも、日本的と言わざるを得ない。つまり、パーティ感覚は体験したとは言えないのだ。

 

そして、行列してレストランへ階段をぞろぞろと下りる。

外国船籍のクルーズはもそうだろうか、まだ誰にも訊けていない。

ディナーは8人テーブルに案内された。

美子さんの隣は、二人の女性。僕の隣りにも同じく、二人の女性。

見知らぬ互い同士だから、最初の切り出しをどちらがするかになる。

僕の横の女性が、「東京ですか?」と投げかけたことから、話は意外な展開になったのだ。

二言三言話すうちに、言葉のエロキューションに親しみを感じたのだ。

直感で、あ、東海地区の人だ、もしかしたら、名古屋の人だろう・・・・。

やはり、二人ともが名古屋の人だった。東山に住む可児さんと徳川町の村山さんだった。

東山は、妹の大学が、徳川町の近くには、僕の中学校があった。

しかも、08年に世界一周したというにっぽん丸組だった。

ご多分に漏れず、ひとしきり、にっぽん丸と、ぱしびの比較、飛鳥の比較が始まった。

大きな声でではない、辺りをはばかっての抑えた声で、だ。話が一段落したところで、振ってみた。

名古屋の人なら、高木夫妻をご存じではないかと。すると、出てくる、出てくる、お馴染みの名前が。

早川夫妻から工藤夫妻、それに野村道子さん。

野村さんは、名古屋の加藤さんという方を伊豆高原の自宅に招いたそうで、

そのお返しに、今度は、犬山ホテルで会食をしたというではないか。

犬山ホテルをセッティングしたのは高木保彦さん。

加藤という方以外は、僕がデッキゴルフに誘い込んだ船友たちだった。

世間の狭さというか、船旅の良さというか、最初のフォーマルナイト・ディナーの席は、

大いに盛り上がってしまった。

バーにある大画面のナビで見ると、船は、奄美大島沖だった。

食後は、妻とは、今晩のメインショー、二胡とピアノとチェロの三重奏を聴きに行く。

さらに、シアターへ向かい、見逃した映画「幸せの隠れ場所」を観る。

 

キャビンに戻って、ようやくフォーマルウエアを脱ぐ。

クローズまで30分だが、大風呂にプールサイドを抜けて、急いだ。

全身をお湯に浸かり、思い切り手足を伸ばして、足の筋肉をほぐす。

タキシードは、背筋を伸ばした姿勢でエナメルの靴で歩くので疲れる。

 ベッドに横になる頃、ようやく那覇の西沖合になっていた。

NHKの天気予報では、日本は、まだ雪模様の厳しさが続くと伝えていた。

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