アジアクルーズ日誌

19日目 カリマンタン島沖

投稿日: 2019年12月5日

20110211 カリマンタン島沖

 

足が冷え切った。2時に目が覚めた。波も穏やかで、かつてのインド洋のように静かだ。寝直す。7時半、比較的自然に朝食に出られた。

嘱託がご一緒になった品のいいご夫妻から、言葉を掛けられた。

「今日は、紀元節ですね」

その言葉に重なるように、キャプテンアナウンスから、紀元節の日であることが流れてきた。思わず、頷きあった。

「短い時間、どこか行かれましたか?シンガポールでは」

「どこも行かないで、船で過ごしました。・・・・・若いときには、プールサイドで読書など、勿体ないと思っていましたが、今頃の歳になってみますと、これが本当の贅沢な時間の過ごし方だと思い直しましたよ、ほほほ」

「いつも、この船ですか?」

「そう、2度共そうですね。飛行機では、ディレーされたり、バッゲージが壊わされたり、色々なトラブルに遭いましたので、もう、船にしました」

「ウチの家内も、或る時から飛行機嫌いになりましてね・・・・」

「神戸の家からは、飛行場より港が近いので・・・」

「私も、横浜~横浜の旅が一番、身体が楽ですから、そうなりました」と妻。

 

6階のパソコンルームに出向き、メールの確認をした際に、電源コンセントの余分がないか探す。廊下脇の予備のPCコーナーに1箇所。7階のオープンバーに1箇所、ピアノバーの隅に1箇所を見つける。部屋の掃除中は、スタッフのために空けておく必要がある。昨日のことを忘れないために、出来るだけ早くにPCに日記を打ち込んでおきたいからだ。

ピアノラウンジは、ウノや   のゲーム教室のために迷惑だろうし、オープンバーの1箇所は、座席が埋まったら使えない。予備のPCコーナーなら、迷惑度は低いだろうと考え、念のためフロントにその旨を打診した。

ところが、返って来た言葉は意外だった。「電源ソケットは、個人的使用はお断りします。お客様がお急ぎでしたら、部屋の清掃時間を変更いたしますが・・・」。

「通信はしないだし、ただただ電力がほしいのだがね」

「申し訳御座いません」

もっと別の断り方がないのだろうか。このまま受け止めると、個人的に電気は使うなということだ。加熱でショートするなら、部屋でどうぞということか。

木で鼻をくくったように、杓子定規な答えである。これまでの船客はこれで引き下がっていたのだろう。船旅は最高のトラベルサービス業ではないのか。

 

ならば、PCの充電池分を使い切ろうと、オープンバーのプロムナード席に座るつもりで出掛けた。ピアノラウンジに多くの席が空いていた。隅に座って、文字通りラップトップパソコンを叩いた。正午になったので、部屋に戻ると未だ掃除は終わっていなかった。彼女たちは懸命に仕事をこなしているのだろうが、どうもキャビンクルーの人数が足りていないのではないかと思われる。

 

昼食はカレーだった。塩分に余程注意しないと、乗船中に返って腎臓が悪化しかねないという不安が出てきた。「SP31」と記されたカードをテーブルに置く。左隣の方も、「SP」カードを置いた。鶏肉系を拒否する申告をしてあるという。「SP」番号によって、どんな区分けがなされているのか、興味が湧いた。訊くと、香辛料が全く駄目な方もいるそうだ。

ウエイターがカレーライスを運んできた。妻と同じく、米飯に既にカレールーがかけられていた。ウエイターが、「特別のものはありません」そう言って去った。

勿論、このまま食することに問題はないのだが、これまでは、ルーが別の器に入って提供されてきたのだ。怪訝な顔をすると、ウエイターが日本人の黒服、つまりチーフウエイターを伴って戻ってきた。「これまでは、ルーはかけずに別の容器に入れてきてくれたのですが・・・」しばらく考えて、「・・・・私の手配ミスでした。下げますので、お待ち下さい」彼は、スプーン共々下げた。胸には「研修中」とあった。

程なくして、別々にされたカレーを持って来てくれた。しかし、スプーンは無かった。近くのウエイターに、スプーンを要求した。

 

一日に2度まで不愉快な気持ちにさせられた。コンセント使用の拒否、「SP」カードの軽視の点だが、これまでに感じたマイナス点は、レストランへの案内の無さ、居酒屋的夕食、フォーマル・インフォーマルの夕食直後に11階バーに入れない、落ち着き場の無い時間帯。

上辺だけの非日常的なサービスで済ませてしまうのなら、自ら「フレンドリーな」「豪華客船」と名乗るなと言いたい。ホテル部門の責任者は、どう把握しているのだろうか。

 

午後は、ジムに行くこともせず、昼寝することにした。部屋のテレビでは、アクション映画「イーグル・アイ」を妻が観ていたが、身体は正直だ。すぐに寝ついた。

およそ、4時間は眠っただろう。

夕食の次官になった。まさに、クッチャアネル、の1日になった。

菅井夫妻と連れだって入り、妻は、いつもの白ワイン。

「そういえば、アサヒのスーパードライ、タイで買ったサイズは、日本での容量と違っていたね。日本は330mg、タイは320mgだった。並べて置いたら、背が低いので、気付いたのよ」菅井荘輔さんが、知らなかっただろという目で、そう言った。

 

部屋に来なさいと言うので、並べてみると、中国の「青島」も、シンガポールの「タイガー」も、背が低い。

「今まで、残った小銭は寄港地のビールを買い込んできては飲んでいたが、飲み足りなかったわけだっ!」これには、笑いこけた。

 

新潟の菅井夫妻のお宅にお邪魔したとき、驚いたことがあった。

ビールのツマミにと、茹で上がったばかりの枝豆が出されたのだが、その量が凄かった。金網のザルから溢れんばかりの山となった量が出されたのだ。新潟の人は、これくらいの量でないと、枝豆を食べた気がしないという。さらに荘輔さんの座った背中を見て、また驚いた。薪かと思ったのは、ビール缶の頭だった。横にしたカートンボックスが8箱ほど、整然と壁に並べられていて、何十本という缶の頭がこちらを向いている。これこそが、ヘヴィードリンカーと言える夫婦なのだ。その彼らが、寄港地で買った缶ビールが船室にずらりと並んでいる。夕食の前に、缶ビール2缶、それに日本酒をきこしめして、ダイニングに現れるのだ。だから、食後のデザートは2人とも食べない。

 

 

今夜のメインショーは、7階のラウンジで、「インドネシアの舞踊」だ。荘輔さんの依頼は、踊り独特の指遣いをアップで撮ってきてほしいというものだった。450mmのレンズを持ったカメラを手に、ホールに入った。

連写で撮りきったが、座席が最後列だったので、手元アップまでとはいかなかった。在留インドネシア人とその留学生と日本人の舞踊家によるチームがバンコックから乗船して来ていた。その5人によるダンスは、満席の好評だった。彼女たちとの記念写真を妻と美子さんは、順番待ちで収まった。

 

映画「イーグル・アイ」を見終えて、眠る。

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