アジアクルーズ日誌
2日目 神戸港~足摺岬
投稿日: 2012年1月29日
20110125
7時半には目覚めることが出来た。
朝のニュースは、ロシア空港での爆発事件を伝えていた。日本人は居なかったようだ。
宮崎県では皮肉にも、東国原知事の退任にタイミングを合わせたように鳥インフルが再発生した。
行政は常に待ったなしだ。これまで県政の側で最前線にいた東国原元知事のコメントは
あったのだろうか。
今朝の早朝尿、塩分計は5.2と言う数値だった。6gを越えていないので、まずまずだ。
今回は、塩分摂取量を測る「減塩モニター」を持ち込んでいる。
オムレツコーナーで、ハム・チーズ抜きを頼んでから席に着いた。
朝食は、案内なしでテーブルを選べる。ビュフェスタイルなので、適当にチョイスするのだが、
腎臓に負担をかけないようにするため、好きなクロワッサンには手を出さず、
プレーンな食パンにマーガリン、ヨーグルト。
カリウムの多い生野菜のサラダを避けて、野菜スープの野菜だけを小皿に掬う。
その代わりに少量のフルーツを楽しむ。そのフルーツと出来上がったオムレツを、
エルビンが運んできてくれる。「ヒルハ、アノセキデ、マッテマスカラ」と、妻に囁いてから去った。
さすがに、自宅で飲む無塩のトマトジュースはない。朝食を和食にしないでいても、
サラダやホイップバター、メロンやバナナ、副菜と、目の毒になる誘惑食材が多いのだ。
朝でさえ、そうだから、昼夕食によほど自制しないと、塩分数値が過多になりやすい。
顔見知りの船客はいないかと見渡す。レストランの窓が汚れて、景色が見にくい。
食後は、決まって、珈琲中毒の妻と7階のカフェに座る。
9時からは8階のメインホールで、スカットボールをやってみると、妻。
では、楽しんでいる写真を撮ってやろうと言ってしまった。
その前に、国内外の関係者へ契約した船内メルアドを送信しておきたいと、パソコンルームへ急いだ。
息子達とデッキゴルフ協会事務局長ほか、シンガポールとバンコック、台北に寄港日着岸時間を伝えた。
メインホールでのスカットボールとは、ゲートボールとスマートボールを合わせたゲームだった。
イベント初日だからか、参加人数は10名ほど。楽しんだ妻は、次のオーバルボールもしていくという。
変形ボールを転がして数字のスコアを競うのだ。
船内を歩いてみる。11階トップラウンジのゲームコーナーに上がった。
プールサイドが撮れない。やはり窓が汚れていた。スタッフに苦言を呈する。
螺旋階段を下りる時、美子さんがカフェで歓談している姿を見かけた。
コサージュ教室で友人ができたようだ。iPhoneがまだ通じる海域にいるようだ。
長男から電話が入った。GPSの画面も出た。友人の池田君からメール。
デッキゴルフ協会の塚田会長が川田さんに弔電を打ってくださったとのこと。
「優勝したわよ」。妻がゲームを終えて帰って来た。
美子さんの話相手は、03年のにっぽん丸の知己だったことが判明。
昼食はちらし寿司だった。塩分を避けるため、いくらと赤だしは、外していた。
もう、自然にそれができるほど、塩分の高いモノには、興味が薄れてきた。蒲焼きを除いてだが・・・。
神戸港接岸は13時で出港は16時。
神戸からの乗客にとっては、今がバタバタだろう。デッキで写真を撮ってゆっくりしているのは、横浜組だ。
この後に、神戸組と入れ替わって、誰が藤川球児になれるか,能見篤史か。
入港前の紀伊水道では風も強く冷たかったが、神戸は穏やかで、日射しも暖かかった。
青学熱海会の下山会長から電話が入った。熱海から東京に帰ってしまったのかと。
1週間の間に片付けと雑貨の持ち出しやら、掃除やらでバタバタしたので、失礼してしまったのだが、
今は、神戸だというと、驚かれた。離岸すると、iPhoneも受信が難しくなるからと、
ミクシーへの書き込みも終えた。
テープが空を切る風景は、見ないで、一旦、部屋に戻ることにした。妻は部屋で微睡んでいた。
疲れが出ているのだろうからと、僕もベッドに寝転ぶ。
ここらへんが、飛行機の旅ではできないくつろぎ方だ。だが、文庫本を読む間もなく眠くなる。
由良キャプテンのアナウンスで眼が覚めた。16時17分だ。3時間は眠っただろうか。
妻の姿はなかった。彼女は、出航セレモニーにプロムナードデッキへ出て行ったのだろうか。
既に神戸の桟橋を離れた。230名の乗員が335名の船客と1ヶ月の旅に出た。
未だ戻ってこないのは、帰りに8階の「雨天体操場」(僕らはメインホールを、こう呼ぶのだが、
講演からショー、運動会から盆踊りまで使用の多目的ホールである)で行われる
ぺタングで遊んでいるのだろう。フランス発祥のスポーツ?ゲームだ。
6~10m先の目標物に球を投げて、近くに寄せたかで得点を争う競技だ。
体に負担をかけずにプレイができるので、中高年のリハビリに役立つと人気が出て来た。
そもそもは、フランスの南部で遠投を競ったチャンピオンが病気で車いす生活になったことから、
助走なしに投げる今のスタイルになったと言われている。
日本では、俳優仲間とゲームをした伊丹十三が最初の人物だと言われている。
船は、これから、紀伊水道から鹿児島沖を南下して、一路、アモイに向け東シナ海を航走する。
キャプテンは、季節風による2mの波が出ているとアナウンスした。
夕食には、タンガリーシャツにV字半袖セーター、その上に夏のジャケットを着ていくことにした。
我ながらなんとなく、しっくりこない。苦肉の重ね着スタイルだ。早く、鹿児島を抜けて欲しいもの。
少し遅めの20時に、菅井夫妻のキャビンをノックしてレストランの階へ上がった。
ペタングは、菅井夫妻も付き合ってくれたらしい。
鹿児島大学に勤務の長男から妻の携帯に電話が入って、出航日を知らなかったと嘆かれたという。
それにしても、陸地から20k以内の航行中でよかった。
紀淡海峡か、紀伊水道の一番狭いエリアだっただろうか。
不思議がっている。料理に「氷頭なまず」が出た。
初めて口にした。コリコリと歯ごたえがあって美味だった。
荒巻鮭の鼻筋に当たる軟骨の部分だそうだ。
屋上のジムに行くなら同行するわと美子さん。
荘輔さんは、船でも5時起きで日の出を撮って、プロムナードデッキを何周も歩いて朝風呂に入るのが日課である。
その荘輔さんが、にやっとしながら万歩計を差し出した。数字は13000歩を示していた。
船内は知らず知らずのうちに、階段を上下したりするので、思った以上に歩いているものだ。
乗船時は杖に頼っていた年配者でも、帰国する時には、杖が消えている程、足腰が鍛えられていく。
微妙な揺れのバランスも取れてくる。つまり、クルーズは、オゾンを吸うだけではなく、
船内を歩くことで、健康にいいのだ。
美子さんが、「せっかくだから、何かを憶えて下船したいね」という。
美子さんと妻が親しくなったきっかけは、麻雀教室なのだ。「太極拳くらい憶えて帰りたい」と僕がいうと、
美子さんが、「私、公民館でお金払って習ったの」と応えた。
「朝早い時間帯では起きられないな」と返すと、
荘輔さん、「じゃあ、お前が高さんに教えるんだぞ」と酔いの回った口で美子さんの肩を叩く。
美子さん、うろたえる。
話を代えた。「バンコックでは日曜日を水上マーケットに向かい、
帰りにウイークエンド・マーケットを歩こうと思っているのだが・・・」と打診すると、
菅井夫妻は、予約していたアユタヤ観光を月曜日に変えるという。
このことを、バンコックの石沢君にメールで再確認しておこうと、
パソコンルームに入った。
荘輔さんは帰って寝ると部屋へ戻った。
20時15分から、同じ7階のメインラウンジで,
エンターテイメント・オリエンテーションがあるからと、
三人は、ウインドウ・オブ・メコンというオープンバーで珈琲を飲んで時間を潰す。
船は、少し横に揺れだした。
今夜のショーだけは、顔見せだから写真撮影が許可されている。2列目の席に座る。
開演した。クルーズ・ディレクターがMCだ。
困った事に、1列目の大柄な男性の頭部が画角を出たり入ったり落ち着かない。
隣のご婦人二人は、黄色い声を張り上げて、馴染みのスタッフを愛称で呼びかける。常連らしい。
ツアースタッフからイベントスタッフまでが紹介される。
これは、にっぽん丸でも同じだが、
違うのはプロダクションショーの外人ダンサーとシンガーを持っていることだ。
ブロードウエイやベガスのオーディションを経て、狭い船のステージ用の振り付けを
トレーニングしてきている。見慣れた顔をステージの袖で見つけた。
にっぽん丸でステージの演出を永年担当していた石橋さんだ。にっぽん丸からの転出組だ。
美子さんは彼の演出で、「龍王祭」(赤道祭りの演劇)に出演したのだ。
講師やスタッフの紹介、すべてが終わった時、おひさしぶり、と挨拶した。
2階席がない低いステージでは、ご苦労が多いのではと訊くと、
高い天井が必要な場合は、8階のメインホール(雨天体操場だ)で作りますと笑った。
石橋さんに挨拶に来られたご夫妻にも見覚えがあった。
あ、スペイン語の得意な、ダンスのご夫妻、九州の古子さんだった。
これで、にっぽん丸での知り合いが5組に増えた。
部屋の航路ナビは、21時45分丁度に、室戸岬沖に出た。波も静かになった。太平洋に出る。
明日の昼は、避難訓練、夜はフォーマルと、慌ただしい。
太極拳教室は朝7時ではなく、15時にしよう。
今晩も大風呂ではスティームサウナを10分間。サウナでも風呂の中でも、
足腰のストレッチを励行する。
23時から揺れてきた。部屋に戻る。洗面所に、ドライヤーはあった。
BSTVは、アジアサッカー日韓の準決勝戦。前半を1:1と、際どい戦いの最中だった。
パスでは崩せなかったという。前半のペナルティキックで日本は1点を取られたらしい。
後半、イエローカードが3人になってしまった。ロスタイム2分を切った。
日本のフォワード、足が追いつかない。押し上げられない。縦パスが通らない。延長となった。
韓国は2試合共、延長だ。ニッポン、円陣を組んだ。韓国は後1枚、日本は2枚は切れる状態だが、
日韓戦らしい戦いになったと解説者が興奮している。前半15分が始まった。
岡崎が倒れて、PKを得た。本田圭佑が蹴った球をキーパーに取られたが、
バウンドした球を細貝が射し込んだ。2:1。後半にもつれて左コーナーに蹴り込まれて、同点。
なんと、因縁のPK戦となってしまった。4年前のアジア大会で敗れたPK戦だ。
ゴールキーパー川島に大きなプレッシャーがかかる。本田が成功して余裕が生まれたのか、
川島も敵の球を弾き、ついに日本が競り勝った。
決勝進出が決まった時、船は足摺岬沖を通過中だった。日本時間の日は、変わっていた。
カテゴリ:アジアクルーズ日誌
はじめに
徒然なるままに、書きますが、街で耳にしたこと、眼に入ったこと、などなど、生活を変えるかもしれない小さな兆しを見つけたいと思います。