アジアクルーズ日誌

4日目 那覇~台湾海峡

投稿日: 2012年2月13日

20110127

 

 就眠は25時を過ぎてしまったたが、朝は7時には目覚めた。

昨夜1時間の戻し時差があったから、体内時間では午前8時になる。

早朝尿の結果は、7.7になっていた。塩分の高いものは、何を食したのか。

ツマミの雲丹か、それとも薄い二枚の胡瓜か、

それとも夕食に食べた和牛ステーキのデミグラスソースか。

別皿に分けてくれているソースを肉片に付けたのは僅かに2度しかない。

それが塩分摂取を高めたとは思えないのだが。充分睡眠を取ったつもりだが、体がだるい。

洗顔する気にならない。妻が7時半に身支度を始めたが、朝食はパスすることにした。

考えてみれば、出航前にパッキングで徹夜、乗船でのパッキング開梱、

そして昨日の目一杯の日程(喩えてみれば、旅行代理店に出掛けて説明を受け、外食し、

その足で講演会に出掛け、太極拳道場に通い、続いて誰かのパーティに出席して、

何処かの音楽リサイタルに足を運び、最終上映館に飛び込み、

ついでにサウナに行って来たようなもの)だった。めまぐるしい一日だった。

本日は、昼食までさほどの重要日程は無いからと、再び体を横にした。

船内時間8時、(にっぽん丸のように八点鍾は鳴らないが)キャプテンアナウンスが入った。

『天候は曇り時々雨。只今、尖閣諸島の魚釣島の108k沖を航行中です。

・・・・・・・・・・・・・。まだ船は揺れながら、東シナ海に向けて南下となります。』

 

朝食を終えてきた妻の背中に、エルビンの顔が覗いた。

テーブルに僕の姿が無いので、心配して来てくれたのだ。

手には、ナプキンのかかった盆を持っていた。

せめて朝食にヨーグルトだけでも、という心遣いが嬉しかった。

9時から中国入国のオリエンテーションがある。

写真付き乗船カードが出来たので、

全員の出席を促すアナウンスがあった。

しかし、それも妻に委ねた。

日本時間11時半、テレビは、参議院代表質問の国会中継だった。

自民党、中曽根ジュニアに続いて、民主党新緑風会、輿石議員が質問をしている。

背中の窓外を見ると、曇天のガス状態だ。

 

窓は、波のしぶきで汚れて見にくいが、うねりの大きい白波が2mはあるように見える。

台湾海峡波高しだ。いくらか落ち着いたので、昼食は短パンTシャツで向かう。

菅井夫妻とは別になったが、案内されたテーブルでは、

昨夜、美子さんが話していた横浜の根岸にお住まいだという奥様方と一緒になった。

食事は、うどんだった。

受信したメールは、熱海の北野伸子さんと次男からだった。

青学マスコミ会の亜実は、挙式直前なので、現地で会う約束をやめることにした。

ライブラリーで、共同新聞から配信されてくるファックス新聞を読む。

昨夜の可児さんがいたことに気づかなかった。

挨拶して、7階のエントランスプロムナードに上がる。

バンドが、「黒い花びら」など、一連の懐かしのメロディを演奏している。

それを聴いている客に一緒に歌うことを促している。にっぽん丸にはないことだ。

 

9階のブリッジ(操舵室)が解放されていることを知り、13時半にさらに上へ上がる。

海は天候が荒れて視界も悪かった。見学の船客達は、ウイングの外に出ることもなく、

大きなテーブルにある海図の一点を気にしている。海図の中に、赤い光があるからだ。

 

由良キャプテンが、そこへ顔を出した。海図を前に気さくに解説し始めた。船客が群がった。

赤いランプは、船の現在地点をトレースして移動していく。コンパスと定規で距離を出すのだろう。

全船がコンピューター制御のこの船に面白いのは、何処の船もだが、

操舵室の奥の壁に、日本がある。神棚が祭られていることだ。最後は、なんといっても、神頼みなのだ。

ピアノサロンで本を読んでいると、「世界遺産」講座を終えた妻と管井夫妻がやって来た。

明日の寄港地、アモイ自由散策は、菅井夫妻とぶらつくことにした。

妻は、往復4時間かけて客家の土楼観光ツアーに参加するからだ。

15時からの太極拳教室に、美子さんも付き合ってくれた。

8階だからか、横揺れが、太極拳の習得を妨げる。何とも残念、集中できなかった。

どうも、バックのステップと手振りが、掴めないままに終わった。

少し、汗ばんだが、シャワーを浴びるほどではない。

妻は入れ替わって、輪投げゲームに出掛けていった。

BSNHKのニュースでは、豊橋の養鶏場で鳥インフルエンザ15万羽の処分が進んだと報じている。

先日は宮崎、その前が韓国で騒がれたが、愛知県は初めてではなかったか。

名古屋人が大好きな「山ちゃん」の手羽先はどう対処しているのかな。

19時半、菅井夫妻と夕食は、豆乳のしゃぶしゃぶ。

しゃぶしゃぶは、湯引きすることで、カリウムが落とされるとして、腎不全に僕には、

格好の食事だと、最近は喜んでいる。野菜鍋などもその点で有り難いのだが、

出汁で雑炊や素麺をとなると、喜べない。カリウムたっぷりを口にするわけにはいかぬ。

調味料には、持参した黒酢と妻が挽いた唐辛子を毎回使っているのだが、

この唐辛子、菅井荘輔ファーマーから送られて来ているのだ。

ひとしきり、菅井荘輔ファーマーの話になった。

県の庭園造りからリタイアした彼が持っている畑は、3軒分は優にある広さで、

ありとあらゆる品種がある。毎日、クルマで通勤?して、畑仕事をして、

健康ランドでサウナに入り、夕食前に自宅に帰る。

手作りの野菜の中でも、殊更に、唐辛子は萩原用だそうだ。

知り合いの農家の人に冷やかされるほど、多くの唐辛子を、僕のために栽培してくれているのだ。

調味料は山葵、辛子、酢にマヨネーズだから、僕のために育ててくれているようなもので、実に有り難い。

妻は、赤く乾燥した唐辛子をミキサーで挽くのだが、いつも眼を泣きはらしている。

そして、僕はその、唐辛子のお陰で、血行も良く、食事が美味しく味わえている。

レストランへ着て出るシャツが要るので、売店で白のポロシャツを買い置きしておいた。

当然と言えば当然だが、Lは、辛うじて1枚だけになっていた。

 

メインショーは、横浜から乗船している二人の中国人役者による京劇「孫悟空」である。

今晩の売りは、中国伝統の秘技と言われる「変面」である。

何度も何度も瞬時に仮面が変わる技は、ダレもが驚きの声をあげるばかりだ。

仮面の顎に、ゴムのような仕掛けがあるのだろうが、眼をこらして視ていても見抜けない。

写真撮影は禁止だが、ビデオ撮影で、駒止めするほかない。観客からは、大拍手を受けた。

 

明日が最初の寄港地、中国であるために、今日は、中国茶教室や中国切り絵教室、

中国衣装着付け体験、お香(香木伽羅の故郷)を楽しむ教室があり、

中国入国オリエンの直後に講演は中国の世界遺産だった。

そして、メインホールの中国民族芸術団のショーで終えた。

船内は、こうして、明日の寄港地、中国大陸への期待を充満させて台湾海峡を抜ける。

7階のオープンバーは、全防火扉、水密扉閉扉訓練のため、一時クローズになる。

 

キャビンに戻ると、フロントからのメッセージがあった。

BKKのバース(埠頭)への車の乗り入れは、

オペレーションビル(OBと称するようだ)から20mくらいのところにパーキングに停めることが出来ると言うこと。

イミグレ通過には1時間を要するとのこと。つまり、9時着岸なら、下船は10時になることも判明した。

 

石沢君へメール:

<日曜日に水上マーケットから市内に戻っても、ウイークエンドマーケットは未だ開いているだろうか?

日曜日は、ウイークエンドマーケットだけにしようか。

菅井夫妻は、月曜日にアユタヤ観光ツアーを予約済みだ。

シャトルバスは伊勢丹を往復する。待ち合わせは、1階のジムトンプソンで、BTSでウイークエンドマーケットに向かおうか。

尚、昼食にMKのタイスキ、夕食は中華街に出ている例のケータリングカーでフカヒレスープを食べさせたい。

まあ、時間に余裕があれば、エンポリュウムで買い物。

翌日の月曜日は、我々二人だけで、早朝の水上マーケットに走る。

このほうが、車も小型で一日だけのレンタルで済むがどうか。

シャトルバスの到着時刻は、追ってメールする。以上>

シンガポールの村松君とのメールでは、家族会食やら挙式準備で多忙のようだから、市内で会うことを辞めにした。

今回は、オープンしたばかりのマリーナベイ・サンズに出掛け、

妻の希望で、新装ラッフルズホテルでお茶して帰ろう。

このマリーナベイ・サンズ、ぱしびの説明会の日、

此処へのツアーはなかった。作った方がいいですよとアドバイスしたが、

ツアー担当者は、このマリーナベイ・サンズを未だ知らなかった。

さて、どうなるか。タクルか。

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