• HOME>
  • アジアクルーズ日誌

アジアクルーズ日誌

18日目 シンガポール

投稿日: 2019年11月28日

20110210 寄港地 シンガポール

午前3時に目が醒めた。冷房が効き過ぎていたので、止めて眠る。5時には起きた。

まだシンガポール入港には1時間ある。

早くに起きて7時には朝食を食べようと美子さんと約束したというので、そのまま洗顔をする。

天気は薄曇りなのか、ガスっている。港湾の起重機類が林立し始めた。

7時に約束通りレストランに出ようとしたら、美子さんと廊下ですれ違った。洗濯室からの帰りだという。

先に7階に上がる。

食べ終えて、プロムナードデッキに出る。右舷側に、セントーサ島にユニバーサルスタジオらしい、オレンジカラーの斬新な屋根をした建物が見えてきた。

左舷には、4棟の高層マンションが建設中だった。どこかで観た光景だ。海南島の人口島に建設中だった高層ビルと同じ、完成時にハーバーフロントのシンボルになっていることだろう。

それを背に妻を立たせて記念写真を撮る。もうこの完成した姿は観られないだろうからだ。

船首の方向に、噂のショッピングセンターの姿は見えない。

 

パスポートは前日に受け取っているから、接岸後速やかに下船できることになっている。

オーバーランドツアー組が小型のスーツケースを転がして、7階のピアノラウンジに集合し始めた。

6階の下船口も準備を始めた。5階のツアーデスクは、数人が集まって、スタッフに詰問している。

自由行動を取る人たちにとって、中心街のマップがコピーされていないことから、ツアーデスクの前では、不満の声が出ていた。なぜか、与えられたマップが、セントーサ島を中心としたものだったからだ。

此処では、中心街へのシャトルバスが運行されないからだ。たしか、にっぽん丸の時は、短い停泊時間でも、オーチャード通りに近いデューティフリーショップまでは、出してくれていた。

これではどう散策せよと言うのか、セントーサ島は、もう行き飽きたのですよ、と、椅子に座りながら、その人はこちらに同意を求める。確かに、僕も同じように思っていた。

ツアーバスに乗らない人のために、せめて、地下鉄経路でも添付してあれば、距離と方向が掴めるかも知れないのだが、ハーバーフロントセンターとセントーサ島のケーブルカーの間だけのマップでは用をなさない。

ぱしびに乗って妙だなと思ったことは、ライブラリー、いやライティングルームに、書籍は多いが寄港地に関するガイドブックは皆無だった。にっぽん丸には、常時数冊が閲覧できた。尤も、寄港地が迫って来ると、不心得な船客が、自室に持ち込んでしまって、利用できなくなってしまうという、腹立たしい一面もあるにはあるが、1週間前なら充分に読むことは出来ている。そして、そのコピーサービスを有料で受けることによって、下調べが出来ていた。

ぱしびでは、それが叶わないから、ツアーデスクのスタッフに余計な負担が増えるのだ。船客が乗船前に下調べをしてこないのが悪いと言えばそれまでだが、クルーズコストからしたら、大した金額ではない。

 

イミグレでは、入国申告書とパスポート持参になる。預けてあったパスポートを受け取って、いつ出てもよいのだが、両替の準備が出来ていないので、9時過ぎまで待つことになった。

ハーバーフロントに併設されたヴィボシティと称するショッピングセンターに足を踏み入れる。しかし、まだこの時間、どの店も開店前で閑散としていて、気が抜けた。

両替の時間が押してしまったとしても、なんら問題はないことになった。

可児さん、村山さんも一緒に歩いたのだが、ウインドウショッピング以外、為す術はなかった。一番奥のドアから、外のウッドデッキに出た。左手から延びた長い舗道は、セントーサ島まで続いていた。

妻は島まで歩いてくると言って、美子さんと僕を置いていった。セントーサ島まで、空中ゴンドラでなくとも、モノレールも走っていた。

帰って来た妻が言うには、動く舗道になっていたから楽だったと。遠目には、それは判らなかった。

 

3階に上がってみると、露天商横丁の風情が作り込んだフードコートになっていた。美子さんがメロンを食べてみたいと言う。最近、船内のフルーツが硬い、甘味がないのだ。妻も試食してみるという間、それぞれ寄り集まった中華系のファーストフード店を見て回った。中央に各店舗の調理場を集め、歯車のようにレイアウトされた各店舗が昼食の準備をしている。薄いプラスティックの手袋をして下ごしらえをしている。予想以上に清潔だった。包子専門、焼きそば専門、野菜鍋専門、湯麺専門と、商売を始めた場所の道路標識を貼り付けたり、開店から46年という数字を見せたりして、老舗を誇っていた。およそ、3乃至4シンガポールドルで食べられることが判った。

ショッピングセンターに活気が出てきた。店が開店したのだ。3階、2階、1階と下がった時11時半になった。美子さんは、イミグレを戻って船内食を取りたいと帰った。我々は、この中で、麺類を食べていくからと別れた。ヌードルの店にした。麺を3種類から選べと言う。平麺を指さした。次ぎにトッピングは何だと聞かれる。フィッシュボールと決めると、手際にいいリズムで、何種類かの具材が付け合わされて勘定。3.5ドル。好みで、2種類の調味料を掛けて食べた。勿論、スープの塩分には注意が必要で、美味いスープは半分残した。

ツアーバス発車時刻には、余裕があったが、既に船客の多くが座席に着いていた。

12時半で、「マリナサンズのスカイパークツアー」がスタートした。

ツアースタッフは、野田リエさん。現地ガイドは、メイ・リーンさん。急遽、追加したツアー企画だったので、優秀なガイドと、快適な大型バスは、1組しか設定できなかったと説明があった。38名に漏れたのは、可児さんたちだった。

バスは一路、マリナベイに向かった。

6月24日に完成したばかりのマリナサンズは、風水を採り入れたデザインで、韓国の建設会社、サムスンがコンペで勝ち取ったという。横からのデザインは「人」、そして、正面の三本のホテル棟は、3本の線香を表し、神と人間と土を意味しているそうだ。高さ220m、横幅320m。この3棟の上に、船をかたどったスカイパークとプールを載せるという奇抜な発想だ。テレビ番組で、この船を持ち上げる記録映像を見せられたとき、世界でも注目される建築物になることは必然だと思った。

ラスベガスの投資家シェルドン・アデルソン氏による大胆な開発力は、シンガポールへのコンベンション誘致に大いに寄与し、隣接したカジノは、ラスベガスを上回る収益を得ているという。彼によると、近い将来、日本にも進出したいと語ったこと憶えている。石原都知事の続投がなければ、カジノ関連の法律成立は難しいかろうが、オリンピックの誘致失敗からして、観光立国としての東京にカンフル剤となることは間違いない。

三棟のホテルで中央の客室はシャワーのみだそうだが、話題はこの巨大な建物に入ったレストランの名店だという。

我々観光客は、3棟目の地下からスカイパークへの入場券を買ってエクスプレスエレベーターで上がる。シネコンのようにシンプルなチケット売場は、がらんとして客の行列もみられなかった。時刻は12時40分。昼食時間を狙えば、スムーズに上がれることが判った。

エレベーターは、56階まで50秒だった。エレベーターメーカーを確かめる間の無く、降りた。観光客に介抱されているスカイパークは、全体の1/6よりも狭いエリアである。屋上の人数は制限されているが、今日は人も疎らでナイスタイミングだった。床 はウッドデッキで、縁は強化プラスティックの板で囲われているが、ビルに当たって巻き上がる風は全く感じない。カメラショットのために僅かな隙間が空けてある。もう1段上がると、カフェテラスがあった。つまり、そこは、61階になる。

眼下のマーライオンは水を掃き出していなかったが、シンガポールを一望できた。屋上からラッフルズホテルは見えなかったが、反対側に広がるゴルフコースは、まさに都心のゴルフ場で、羨ましい限りである。その横には、海水から摂取する市民の水道水の源であると聞いた。例のマレーシアからの決別とも言える自衛策の水道政策である。

いつもなら、この売店で、記念のキャップを買うところだが、シンガポールドルが僅かしかない。USドルが使えない。カードで買うほどでもない。そういう気分だった。

30分ほどで階下に降りた。カジノに雰囲気を覗いてみましょうとガイドが別棟の通路に降りた。パスポートの提示を求められた。なんなく通れるものと思ったら、背中のバッグをデポジットしろと指示された。カウンターに預けた。しかし、後続組は誰もいなかった。ツアー組は広いカジノに消えていった。僕は独りでその中をゆっくりとした足取りで見て回った。2階に上がれば、全体が俯瞰できると言われていたことを思い出して、エスカレーターに乗った。いるいる。背の低い老人たちがぞろぞろとガイドに引率されて歩いている。妻に何をしていたのかと訊かれた。デポジットの話をした。ツアー組の誰もが、ミニバッグを背負ったままだった。どうやらサングラスをかけた僕だけが、怪しい人物に見えたのだろう。

君たちに問題は何も起きなかったのだろと、妻に問いかけた。妻が、にやっと笑った。何かあったのだと判ったので、カジノを出てから訊いてみた。

 

 

「GYRXFFEXXX!!」

「ああ、皆さん、少し静かに話して下さい。日本語は、ちょっと五月蠅かったのでしょうね、お静かに・・・」ツアー担当クルーがそう言って、船客を鎮めたのだが、妻の耳には、こう聞こえていたのだ。「帽子を外してください!」と。

二度目にまた、注意された。今度は解ったのか、「皆さん、帽子を取りましょう!」

 

こうして、一杯の珈琲ブレイクもなく、慌ただしく、マリナベイサンズの観光は終わった。

青学マスコミ会の後輩と此処か、ラッフルズホテルで会う約束だったのだが、彼女にとって人生最大のイベント、結婚式の前々日とあっては、それも出来なかった。彼女は、新婚生活をシンガポールから始めるのだ。ニューヨークから此処へ転勤が決まった男性と一緒に新しい生活が始まる。ボンボ・ヤージュ!!

 

マリナベイからバスは、オーキッドガーデンへ向かった。シンガポールの国花である。

妻は、ガーデンに立ち寄るのが大好きな人だから、歩き回るだろう。カナダの   ガーデンも、独りで出掛けたくらいだ。僕には、とんと関心がないのが不満だろうが、仕方がない。たらたらと歩き、日射しの強さにも疲れた。最後のコースは、マウンティン・フェーバー。

シンガポールでは一番高い山になる。高度   m。狭い山道に片側駐車するバスの列から下車した。

だらだら坂を登る。

 

「頂上に上がりますともう一頭のマーライオンが立っています。そこからは、ぱしふぃくびーなすが観られますよ」

カメラを持った老紳士は、喜びの顔になって先を急いだ。マーライオンは立っていた。しかし、ぱしふぃっくびーなすは、木陰とビルの向こうに隠れて、どうあても見えない位置である。あの老紳士を探したが、どこに行かれたか、見当たらなかった。がっかりされたのではないか。マーライオンは、逸話通り、虎をライオンと見誤ったように、森の中に立っていた。

だらだら坂をみんな黙って降りた。バスに乗りこむステップが、僕にもなんだが高く感じた。

 

こうして、急遽企画されたバスツアーはこれで終わった。

カテゴリ:アジアクルーズ日誌

16日目 南下 南シナ海(ハーフウエイ・パーテイ)

投稿日: 2018年4月28日

20110208 南下 南シナ海

 

23時には横になった。目が醒めたのは4時半。早朝尿の検査、塩分摂取量は9.8g!!

これまで、10年間で1度も無かった数値である。恐ろしや、美味い外食!!

今日一日、絶食か粗食、それとも内食ラーメン三昧で終えるか。

とにかく、朝食に出て、菅井夫妻を捜して謝るしかない。

あのチーク材での彫り物の完成品の写真が消えてしまったからだ。

 

菅井夫妻には、謝った。

朝食はサラダとヨーグルトだけにした。

石沢君は、丸々2日間のアテンドで、気が休まらなかったのではないか。

母親の急死の後に、タイに戻って、今回のアテンドだから、かなり疲れさせてしまったに違いない。日頃に生活からすれば、怒濤の2日間だった。感謝。

 

9時からは、廣田由紀子クルーズコーディネーターによる「クルーズ・トーク」。

気の早いことに、来年の12年のクルーズ船内説明会が行われる。

同じ1月スタートで、西オーストラリアのパースを寄港地にしている。

「西オーストラリア・アジアクルーズ」。なるほど、にっぽん丸も飛鳥も企画しないコースである。1/11(水)~2/21(火)。

パラオのマラカス島~バリ島のベノア~コモド島~セマラン~パースのマントル~シンガポール~ペナン島~マラッカ~クチン~コタキバナル~香港。

40泊41日で、5階は112万円。早朝割引、船内仮受付なら100万円。我々には、健康的にも無理な時期になるから諦めもつく。妻は、説明会にも出ないで、選択と昼寝の時間にするという。僕も身体を休めたいが、

まだ、横になっていたいのと、塩分を身体から抜くために、水だけを飲んで、昼食は抜くことにした。

展望風呂は午前6時から9時までと、午後は15時からだ。陽のあるうちの入浴もいいものだ。遙かに海原を眺めながら湯に浸かるのも、おつなものだ。もしかしたら、荘輔さんとバッタリかも。

早風呂の面々は、どうやら、決まっているようだ。全く見知らない顔が多い。上層階の船客だろうか、バスローブを着込んで入って来られた紳士がいた。

歩き疲れた全身を癒すのには、やはり、スティームサウナだ、とばかりに、今までにない長さで自分を閉じ込めた。人が少なかったので、座ったままで、梨状筋のストレッチをやり終えた。

 

「ネック&ショルダー」を腰骨周辺に塗りたくった。しかし、大腿部には塗らなかった。

今夜は、「ハーフ・ウエイ・パーティ」と称するインフォーマルの日だからだ。

 

荘輔さんとは、入れ違いだったようだ。11階から5階へ降りた時、開いたエレベーターの向こうに彼の顔があった。彼は、航海の半分が過ぎたのをきっかけに、「ライトハウス」(船内新聞)、地図からパンフレット、写真ほかを整理整頓し直したのだそうだ。見習いなさい、と妻が眼で言っている。

 

 

 

BKK市内を案内をしてくれた、石沢君へお礼のメールを、インマルサットのネットメールを打ちに行かねばと、気が急くが、時間のやりくりに、つい忘れてしまっている

 

可児さんたちと一緒に夕食をしましょうと約束をしたらしい。先ず、美子さんが先に8階のメインホールへ上がった。遅れて、荘輔さんと我々が。ホールを見渡すと、美子さんだけだった。可児さんたちは別のテーブルに居た。互いに姿を確認し合った。

今クルーズは、船長が二人、ドクターはバンコックからもう一人が乗船して二人体制。そしてホーチミンから乗船して明後日シンガポールで下船する飯田総料理長がステージに上がった。キャプテン以下の6役のコメントを聞いた。

メインホールからの出口は片側だけで混む。可児さんたちの姿を見失った。夕食で一緒ならどちらかが席で待てばいいのだと、可児さんとは別々に7階のダイニングに入った。エルビンに7名の席を創って貰い、可児さんを待つ。しかし、可児さんたちが見当たらなかった。ところが既に、右舷側の奥の席に座っていた。どうやら、こちらの席に移ることが難しい状態だと、手で相図してきた。エルビンに謝って、他の方々に席を空けた。

 

白ワインをボトルで取った。写真の消去に対するお詫びとした。

エルビンには、四人の姿を撮ってほしいとカメラを渡した。カメラを返してくれる手に、ハーフウエイ・チップをそっと渡した。

飯田総料理長が各テーブルを一言二言話して回っていた。我々の席に来たときに、こう話しかけた。

「これから、段々暑い地域に入ります。少し、塩っ気を足して調理しますので、疲れをお取り下さい」

驚いた。「SP」カードを置いた客に、無神経なことを話したものだ。「SP」カードの脚は、何らかの制限を受けている脚でアル。むしろ、こう言って欲しかった。

「SPカードをご呈示されていますが、どういう制限なのですか?お食事には、満足されていますか?」

営業的には、こういって欲しかった。

レシピ-を管理する側が、毎回、塩分要領をメニューカードに印刷付記してくれれば、どこの客船にもない高年齢層に喜ばれるスタイルになるのだが。

 

食後に少し、ゆったりしたいと11階のオブザベーション・ラウンジに上がった。

ところが、ウエイターもバーテンダーもいない。準備中というわけでもなかった。せっかく、インフォーマルの夜くらい、オープンの時間を繰り上げてもいいだろうに、やはり、20時までは無理だった。

プールを挟んで、船尾側の12階、トップラウンジに上がった。辛うじて開いていた。というよりも、バースタッフがいたから、僕らが口開けになったのだろう。

ブラディーメアリーをオーダーした。

2杯目を如何ですかとウエイトレスが訊いてきたが、要らないと答えた。機内で飲むものよりも不味かったからだ。テキーラ・サンライズは、ただのオレンジジュースだったと、妻が言う。客がまだ来ていないのを幸いに、アルコール談義となった。

 

今夜のインフォーマル「、ハーフ・ウエイ・パーティ」(にっぽん丸では、「キャプテン・ディナー」という)でのシャンパンも不味い。気が抜けた水だという声さえ聞かれた。そりゃあそうだろう、我々よりも格段上のランクの方々が、元重役連が多く乗っていらっしゃるのだから、シャンパンの味を判っている船客は多いはず。

我が家でお気に入り「笑う牛」のひとくちチーズも6人が座るテーブルに2個しかない、10枚の海老煎餅が、どれほどきれいにディスプレイされていようと、ましなモノを置くべきではないか。シャンパンからしてそうなら、テーブルのチャームも情けないほどに予算を押さえていることが見え見えだ。

アルコール類のメニューカードを予めテーブルに置いて選ばせてくれるのは、にっぽん丸。ところが、今晩は、2杯目を手にしたくても、ウエイトレスは、後ろに下がってしまう。船内カメラマンも1人では回りきれないだろうとだが、壁際にいたりして、客の見えない後ろに退いてしまっている。手で合図を送っても、察知しない。結局、着飾った妻たちは、写真撮影のチャンスを逸したと言う。ならばと、コンパクトデジカメで我慢して貰った。

メインラウンジに皆をきちんと整えて集めて置いて、しゃれっ気も緊張感も感じさせてくれない、この場の雰囲気は何だろう。形ばかりのイベントで満足すると思っていたら、日本のクルーズ客は育たないだろう。こうした眼に見えないクルーズファンが、外国船のクルーズ客に流れていくのだろうか。サービスに心を砕いているフィリピンスタッフに申し訳ない。

 

今夜のメイン・プロダクション・ショーは、コメディ・マジックだが、観ないで部屋に戻ろううよ、と菅井夫妻とエレベーターで下がった。

帰りに寄り道して、石沢君へ感謝のメールを打って置いた。

 

 

今夜も、波は穏やかで眠りやすそうだ。

カテゴリ:アジアクルーズ日誌

PAGE TOP