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「アジアクルーズ日誌」の一覧

20110209 南下 南シナ海 赤道通過

投稿日: 2019年11月28日

20110209 南下 南シナ海 赤道通過 ひさしぶりにゆっくりと眠れた。「ネック&ショルダー」も効いていた。腰の痛みも和らいだ。塩分数値は、6.7まで下げた。 うきなけ 

 朝食は遅めの8時過ぎ。2個の目玉焼き(黙っていると、1個の目玉焼き?になる)を頼み、(パンは外して)ヨーグルトとサラダと珈琲だけで済ませた。 9時から、8階のメインホールで、シンガポール入国オリエンテーション。5年の間に、港周辺も、すっかり開発が進み、今では、後楽園2個分の大きなショピングモールが出来ているのだ。シンガポール入国は、パスポート携帯となる。 11階のジムに上がって、鞍馬を30分、自転車を40分。汗ばんだのでシャワーを浴びて着替える。

 昼食は和食だったのでレストランへ出向かず、内食のラーメンにする。黒酢たっぷり補給する。 写真の整理を始めた。妻は、美容室に出掛けた。

 17時から11階のプールサイドで赤道通過祭だという。にっぽん丸との違いも知りたくて、出掛けてみたが、独りよがりのスタッフの学芸会。絵にならない。 飲み物は相変わらずの種類。筋立てが決まり切っているために、赤道祭といっても、せっかくの広いプールサイドが、なんだかパサパサしている。盛り上がりにも欠けた。水という舞台がイカされないで、その空間は死んでいる。安っぽい造花を飾っても、空しい否か芝居。

赤道祭1

 ここでも、経費の抑制が働いているのか。 水掛けの刑に処せられる女性陣も、当初は驚きの表情を見せているが、その段になると、髪の毛を守るために、頭にシャワーキャップを被る周到さ。ハプニングのハラハラさも同情心も起きない。観客のどよめきも笑いも起きない。

 演出石橋さんも、転入組として口が出せないのか、スタッフに馴れ合いの、惰性を感じる。船客たちも白けている。ダンサーを含め、もうダラダラで、驚きも新鮮さも感じない。BGMもスカスカ。PAもメリハリがない。舞台裏が創れない丸見えのためもあるが、観客の眼が散る。収斂させる演出がないからだ。

 飲みものを飲む気にもならず、がっかりしてエレベーターで5階に降りる。船客からなんら興奮の喜びも余韻も感じとれなかった。1度、再考、学習すべきだ。

 ズボンもシャツもニューヴァージョンで夕食に出る。地味な柄のアロハを着た。 菅井夫妻が、招かれていた古子夫人の誕生日席は明日だったということで、今夜は同席することになった。

 美子さんの勤め先の部署には、女性は自分だけ1人で、他はすべて男性。つまり、紅一点だったという話になった。とろこが、その理由を荘輔さんが訊ねた。

 「どうしてだか、訳を知っているか」

「知ってるわよ、何処の部署でも私を採ってくれなかったんでしょうね、ははは」

「ははは、じゃあないよ。採った俺は一体何だ?」

「ああ、採ってくれたよね、永久就職に」

「・・・・・」 大爆笑となった。

周囲は、何を笑っているのか、解らないから怪訝な顔をしている。 荘輔さんは酔いながらこう言った。

「ねえ、書いといてくれよ、しっかりと。そういう旦那は偉いと、な」 また爆笑。

 20時15分、今夜のショーは、7階のメインラウンジで、「Jスクエア&ジュディ」のコンサートだ。

 横浜離岸の時、紙テープを投げながら背中で聴いたバンドだったが、ステージではどうなのかと出掛けた。しかし、ドラムとピアノ、どちらかが喧嘩しているように、リズムの主体がばらつく。最悪なのは、サキソフォン奏者。息が続かないのが、バレバレ。メロディラインを転がす独特のアドリブを、全くと言っていいほど聴かせてくれない。メロディ譜をなぞっているだけ。ベースギターは、さほど聞こえてこない。

 ヴォーカルのジュディが、登場するのは、20分も経ってから。引っ張りすぎだ。しかも、ステージからの縦幅が短いのに、マイクのエコーを効かせ過ぎ。声量がないのか、プロらしくない。多くの者達をオーディションした結果だろうか。ダンス音楽を仕事にしてきたのではないかと思えるほどに、危うい。老人倶楽部に聴かせるレベルは悲しい。ジュディの歌で、聴くに絶えないので失礼ながら出た。

 メール受信を確認に行った。 明日は、朝食後に美子さんと一緒に、イミグレ横のショッピングセンターを覗いて、場合によっては、そこで昼食を済ませ、ツアーバスに乗る事にする。

カテゴリ:アジアクルーズ日誌

20110211 カリマンタン島沖

投稿日: 2019年11月22日

20110211 カリマンタン島沖 足が冷え切った。2時に目が覚めた。波も穏やかで、かつてのインド洋のように静かだ。寝直す。7時半、比較的自然に朝食に出られた。 嘱託がご一緒になった品のいいご夫妻から、言葉を掛けられた。 「今日は、紀元節ですね」 その言葉に重なるように、キャプテンアナウンスから、紀元節の日であることが流れてきた。思わず、頷きあった。 「短い時間、どこか行かれましたか?シンガポールでは」 「どこも行かないで、船で過ごしました。・・・・・若いときには、プールサイドで読書など、勿体ないと思っていましたが、今頃の歳になってみますと、これが本当の贅沢な時間の過ごし方だと思い直しましたよ、ほほほ」 「いつも、この船ですか?」 「そう、2度共そうですね。飛行機では、ディレーされたり、バッゲージが壊わされたり、色々なトラブルに遭いましたので、もう、船にしました」 「ウチの家内も、或る時から飛行機嫌いになりましてね・・・・」 「神戸の家からは、飛行場より港が近いので・・・」 「私も、横浜~横浜の旅が一番、身体が楽ですから、そうなりました」と妻。 6階のパソコンルームに出向き、メールの確認をした際に、電源コンセントの余分がないか探す。廊下脇の予備のPCコーナーに1箇所。7階のオープンバーに1箇所、ピアノバーの隅に1箇所を見つける。部屋の掃除中は、スタッフのために空けておく必要がある。昨日のことを忘れないために、出来るだけ早くにPCに日記を打ち込んでおきたいからだ。 ピアノラウンジは、ウノや   のゲーム教室のために迷惑だろうし、オープンバーの1箇所は、座席が埋まったら使えない。予備のPCコーナーなら、迷惑度は低いだろうと考え、念のためフロントにその旨を打診した。 ところが、返って来た言葉は意外だった。「電源ソケットは、個人的使用はお断りします。お客様がお急ぎでしたら、部屋の清掃時間を変更いたしますが・・・」。 「通信はしないだし、ただただ電力がほしいのだがね」 「申し訳御座いません」 もっと別の断り方がないのだろうか。このまま受け止めると、個人的に電気は使うなということだ。加熱でショートするなら、部屋でどうぞということか。 木で鼻をくくったように、杓子定規な答えである。これまでの船客はこれで引き下がっていたのだろう。船旅は最高のトラベルサービス業ではないのか。 ならば、PCの充電池分を使い切ろうと、オープンバーのプロムナード席に座るつもりで出掛けた。ピアノラウンジに多くの席が空いていた。隅に座って、文字通りラップトップパソコンを叩いた。正午になったので、部屋に戻ると未だ掃除は終わっていなかった。彼女たちは懸命に仕事をこなしているのだろうが、どうもキャビンクルーの人数が足りていないのではないかと思われる。 昼食はカレーだった。塩分に余程注意しないと、乗船中に返って腎臓が悪化しかねないという不安が出てきた。「SP31」と記されたカードをテーブルに置く。左隣の方も、「SP」カードを置いた。鶏肉系を拒否する申告をしてあるという。「SP」番号によって、どんな区分けがなされているのか、興味が湧いた。訊くと、香辛料が全く駄目な方もいるそうだ。 ウエイターがカレーライスを運んできた。妻と同じく、米飯に既にカレールーがかけられていた。ウエイターが、「特別のものはありません」そう言って去った。 勿論、このまま食することに問題はないのだが、これまでは、ルーが別の器に入って提供されてきたのだ。怪訝な顔をすると、ウエイターが日本人の黒服、つまりチーフウエイターを伴って戻ってきた。「これまでは、ルーはかけずに別の容器に入れてきてくれたのですが・・・」しばらく考えて、「・・・・私の手配ミスでした。下げますので、お待ち下さい」彼は、スプーン共々下げた。胸には「研修中」とあった。 程なくして、別々にされたカレーを持って来てくれた。しかし、スプーンは無かった。近くのウエイターに、スプーンを要求した。 一日に2度まで不愉快な気持ちにさせられた。コンセント使用の拒否、「SP」カードの軽視の点だが、これまでに感じたマイナス点は、レストランへの案内の無さ、居酒屋的夕食、フォーマル・インフォーマルの夕食直後に11階バーに入れない、落ち着き場の無い時間帯。 上辺だけの非日常的なサービスで済ませてしまうのなら、自ら「フレンドリーな」「豪華客船」と名乗るなと言いたい。ホテル部門の責任者は、どう把握しているのだろうか。   午後は、ジムに行くこともせず、昼寝することにした。部屋のテレビでは、アクション映画「イーグル・アイ」を妻が観ていたが、身体は正直だ。すぐに寝ついた。 およそ、4時間は眠っただろう。 夕食の次官になった。まさに、クッチャアネル、の1日になった。 菅井夫妻と連れだって入り、妻は、いつもの白ワイン。 「そういえば、アサヒのスーパードライ、タイで買ったサイズは、日本での容量と違っていたね。日本は330mg、タイは320mgだった。並べて置いたら、背が低いので、気付いたのよ」菅井荘輔さんが、知らなかっただろという目で、そう言った。 部屋に来なさいと言うので、並べてみると、中国の「青島」も、シンガポールの「タイガー」も、背が低い。 「今まで残った小銭は寄港地のビールを買い込んできては飲んでいたが、飲み足りなかったわけだっ!」これには、笑いこけた。新潟の菅井夫妻のお宅にお邪魔したとき、驚いたことがあった。ビールのツマミにと、茹で上がったばかりの枝豆が出されたのだが、その量が凄かった。金網のザルから溢れんばかりの山となった量が出されたのだ。新潟の人は、これくらいの量でないと、枝豆を食べた気がしないという。さらに荘輔さんの座った背中を見て、また驚いた。薪かと思ったのは、ビール缶の頭だった。横にしたカートンボックスが8箱ほど、整然と壁に並べられていて、何十本という缶の頭がこちらを向いている。これこそが、ヘヴィードリンカーと言える夫婦なのだ。その彼らが、寄港地で買った缶ビールが船室にずらりと並んでいる。夕食の前に、缶ビール2缶、それに日本酒をきこしめして、ダイニングに現れるのだ。だから、食後のデザートは2人とも食べない。 今夜のメインショーは、7階のラウンジで、「インドネシアの舞踊」だ。荘輔さんの依頼は、踊り独特の指遣いをアップで撮ってきてほしいというものだった。450mmのレンズを持ったカメラを手に、ホールに入った。 連写で撮りきったが、座席が最後列だったので、手元アップまでとはいかなかった。在留インドネシア人とその留学生と日本人の舞踊家によるチームがバンコックから乗船して来ていた。その5人によるダンスは、満席の好評だった。彼女たちとの記念写真を妻と美子さんは、順番待ちで収まった。 映画「イーグル・アイ」を見終えて、眠る。

カテゴリ:アジアクルーズ日誌

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