• HOME>
  • 続クルーズ日誌

続クルーズ日誌

060608 大西洋カリブ

投稿日: 2014年9月29日

060610 カリブ海

まだ揺れは残っている。しかし、日射しは強くなってきた。当然だろう。

既に、鹿児島の経度に近い。気温も20℃にはなっているだろう。

八点鐘の鐘は、本日、西出さんだと本人から聞かされていた。キャプテンアナウンスは、やはり、気温20℃だった。

 

『にっぽん丸はバハマ諸島ナッソーの北東、490海里(907km)を航行中です。

バミューダを出港してからコズメルまで急いでいる理由は、バハマ諸島からフロリダやキューバの沖合いを流れる、強いメキシコ湾流、フロリダ海流、北大西洋海流域を航行しなければならないからです。明日の昼頃、バハマ諸島沖に到達し、カリブ海に入ります。

 

地球の創世記、大陸のプレートに地殻変動があった時、初めはくっついていた北米・南米とアフリカ大陸が離れていきました。

世界地図で大陸の形を見るとよくわかります。アフリカ大陸の西側、モロッコからモーリタリア、シェラレオネの辺りが、カリブ海にあたります。

 

このカリブ海は、大航海時代にスペインやポルトガルなどの西欧諸国による覇権争いの舞台でした。

その海域に、にっぽん丸は入っていきます。 その昔、アフリカ のセネガルの沖にある島国「カーボベルデ」を基点にして、西側1,800kmを通る子午線より西側は、スペイン領土、東側はポルトガルという協定が結ばれたそうです。

これにより、ブラジルはポルトガル語、南米大陸の西側の国はスペイン語というふうに分かれたわけです。カーボベルデの「カーボ」の意味は「岬」で す。

 

400年から500年前、西欧諸国の覇権争いの中、カリブの海賊が横行していた時代の西インド諸島に思いを馳せながら、本日も航海を楽しんでください。』

 

朝食は、両切りのパンに野菜やスパニッシュオムレツを挟んで食べた。

これまでずっと、腸には負担のかからないオートミルだったが、腹持ちがないので、食パンを日替わりに食べている。今日のヨーグルトは、実に美味かった。日本で好んで買っているジャージー乳牛のヨーグルトに近い味だった。ニューヨークで積んだのなら、しばらくは、この美味いヨーグルトを食べられる。

 

日射しを期待して、ネックカバーのキャップを頭に、デッキゴルフに向かう。美子さんとは色違いである。知らない人が見たら、夫婦と思うかもしれない。

 

デッキゴルフのスティックとパックがすべて新品になっていた。曲がったスティック、割れたパックを知った久慈目パーサーが甲板部に頼んで、新たに削り造ってくれたのだ。

喜んだものの、初打ちに奇妙な声があちこちで上がる。僕も打ってみた。あっと声が出る。新しいスティックが重いのか、パックが重い。思うような距離が出ない。失速という言葉が当たる。

どうやら、パックを塗ったエナメル塗料の重さで、いつもの調子が狂うのだ。

 

全ホール全員上がりでスタート。白組が、山縣、工藤、菅井、萩原、高嵜に対し赤組は、松田夫妻、菅谷、中島、西出。新しいパックにフィットしているのは、山縣、中島、ミセス中島と、余り力を入れないで打つタイプで、強打タイプには、応えてくれないようだ。それが証拠に、転がりとなる割合が少ない。ジャストミートを心がけることだ。

 

赤優勢で進んだが、権利玉になってからの白の攻撃が功を奏して、勝つ。

高嵜、菅井、菅谷3氏は亀井教授の講義を聞くため退出。

 

2回戦は、白組、山縣、工藤、西出、萩原対赤組、横田、松田、中島で、残り1パックを順打ちとした。8人のゲームは、やはり面白い。

最後に横田さん独りに対して、我々は西出、工藤の3人で対抗。横田さんを僕が打ち出しておいて3人が上がった。

久しぶりの連勝だった。

 

11時30分からは、7階のフィットネスルームで、久しぶりのアエロウオーカーと、床運動器具を使っての腹筋運動をした。久しぶりの汗だった。シャワーを浴びて、ゆっくりと13時に昼食をとった。

 

午後は久しぶりにゆっくりした時間となった。妻は微睡んでいる。僕はPCに打ち込んでいる。

 

15時、1ヶ月ぶりの血液検査に1階の医務室へ向かう。BUN値を計って貰うのだ。期末試験の発表のようなものだ。田村ドクターは、そうか、もう1ヶ月が過ぎましたかと腕に注射針を打ち、大久保ナースは早いですねといいながら、診察に来ていたフォードルフィンのバンドメンバーの一人に、なんもゆうこと聞いてくれてないわと、コンコンと英語でお説教していた。頼もしい。田村ドクターは、博報堂にいい男いてまへんか、いい娘ですよ、と笑いながらいう。

 

隣のシアターで、映画が始まる。「五線譜のラブレター」(04カンヌ国際映画祭クロージング作品)コールポーターの半生だ。リンダの勧めでニューヨークのブロードウエイからハリウッドの映画の主題歌へと移り住む中で、二人の間に亀裂が生じる。ニューメキシコのサンタフェ辺りに引き籠もったリンダに、ポールは自棄を起こして落馬する。それが元で、ピアノのペダルが踏めなくなったポーターは、失意のどん底に墜ちる。流産の悲しさに追い打ちをかけるように、リンダは肺ガンに冒される。

何度も乗り越えた二人の愛をポーターは、すべて曲にしていった。生涯に870曲も作曲したポーターが、傍観者となって、ストーリーの展開に絡む構成を採った映画。

「私が愛するように、私を愛さなくていいのよ。ただ私だけを愛してくれれば」このリンダの言葉は、胸に刺さった。ラストに出てくるバラも印象的だった。

「スペインで咲かせたバラだよ。本来、合わせることが難しい花と花を掛け合わせたのだよ。名前は、リンダ・ポーター・ローズと言うのだよ」

リンダの病床にポーターが持ってきたバラだった。

 

もうすぐ、僕らも結婚記念日を迎える。占いでは、決して相性の良いとは言えない二人だったそうだが、O型でアバウトなのに強気な下町育ちの彼女が居たから、A型の喧嘩早い僕が大怪我もせずに今あるのだ。

いま、妻が創っている花も「リンダ・ポーター・ローズ」かな。

 

夕食は久しぶりに、高橋夫妻と一緒になった。自分が仙台の仕事を16年もしてきたせいか、なんとなく親しみは強い。高橋さんが刺身を並んで4人分運んできてくれた。

白ワインが今晩は美味しい。もう4杯も重ねた。高橋さんは、初心者相手のデッキゴルフでは、中級の域。気分がいいようだ。ダンスを止めて、早く一軍に上がってくるように頼む。ワインの勢いで奥さんの美知子さんと今夜踊る約束をしてしまった。

 

仮装のマスカレードは、20時頃に6階のスポーツデッキに出てくるはずだ。その時間になったら借りに行こう。先回は、夕食の時からカリビアンナイトの服装だった。だから、仮面を付けようが髭をつけようが、青い毛のカツラを着けようが、ばれていた。

リピーターは、夕食とカリビアンナイトの服装を着分けていた。今回は、遊び心でわざわざ着分けてみた。先回のようにカツラがあったりすると面白いが、どうだろう。所詮、僕はひげ面で、ばれるのだが。

 

全面親父顔の半透明仮面を付けた。本人よりもより気弱な性格を強調する顔だった。その顔に3年前ハミルトンで買った派手な花柄のシャツを着た。妻のマスカレードは派手な羽根付きだった。

衣装は、ハワイロケの土産で買った25年も前のモノを持ってきたようだ。先回は、フィージーで買ってきたパレオだった。

 

ウッドデッキで滑りは悪いが、ダンス曲になった時、約束の女性と踊った。佐賀の和田希公子さんであり、名古屋の高木敏恵さんであり、仙台の高橋美知子さんだった。

彼女たちは夕食時から同じ服装だったから、仮面をつけていても、見覚えのある服装で知ることが出来た。尤も、ご主人と踊っていることから、それとすぐに判るものだが、しかし、名古屋ジルバを教えると約束していた西出さんの奥さんは、探しきれなかった。

眼以外は塞がれている僕の仮面は、吐いた息が汗と一緒になってサウナのようだった。踊りが激しくなると、開いている眼の穴がずれてくるのと、アルコールの酔いとで、身体だけが動いているに過ぎない。

 

アシスタント・クルーズ・ディレクター蘇君の兎衣装とダンスの若手先生のスーパーマンは決まりのコスチュームだった。カメラを手にシャッターを切ろうとして、先回の蘇君と寺本さんとのコンビが消えたのが寂しいと感じた。掛け合いもなく、蘇君が孤軍奮闘で場を盛り上げる役を担っていた。あらためて、寺本さんの存在の大きさを知ることになった。セーラー姿になって、軽妙なやりとりを交わしていた3年前の彼女、賭場で片肌脱いでサイコロを振っていた、切れのいいセリフ。いま何処かで、コンサートやファッションショーのMCをしているのだろうな。

 

ひさしぶりに、いや3年ぶりに妻と踊った。我々にとってこのカリビアンナイトは、ダンスが出来るということを解って貰うには格好のチャンスだった。しかし、中川三郎直伝の、あのマジックステップをどうやら妻は忘れてしまったようで、早いリズムでそれを採り入れると戸惑っていた。渡辺登志さんと踊ってみたかったが、彼女は腰を悪くしているので、遠慮した。彼女は、デッキに出てきていたのだろうか。

 

朝のウオーカーから、夜のダンスまで、ひさしぶりに汗ばんだ1日となった。ぐっすり休めるだろう。

カテゴリ:続クルーズ日誌

060608 大西洋カリブ海

投稿日: 2014年4月5日

060608

 深夜には、これまでで一番激しい左右の揺れが続いた。列車の連結器の間に立っているような揺れだった。本来、イギリスから大西洋に乗り出したときに起こる揺れが、今頃になって、低気圧の関係で再現された。部屋に置いてあるスーツケースが倒れた。

 

 八点鐘でのキャプテンアナウンスに依れば、『ニューヨーク停泊中はお天気に恵まれず、お疲れ様でした。

 

 にっぽん丸はニューヨークの南東180海里(333km)を、珍しく南東方向に航行しています。風が強く、うねりもありますが、追い風・追い波なので大きな動揺はありません。南に下がるほどに静かになってゆくでしょう。波乗りのつもりで楽しんでください。

 

 現在の空模様は曇りですが、お天気は回復傾向です。
楽園バミューダに向けて、心は晴れ晴れといきましょう。
今日はデッキランチを予定しています。

 

 ニューヨーク上空で急速に発達した低気圧は、昨日の午後で1,001hPa。今日は990 hPaまで下がり、ニューファンドランド島方向へ向かっています。日本で言えば「台湾坊主」と呼ばれる台風並みの低気圧で、付近には嵐の警報が出ています。
しかし本船は南方向へ向かって離れていきますのでご安心ください。

 

 日本は梅雨のシーズン到来ですが、梅雨の無いニューヨークでは昨日のような天気が続いており、今年は天候不順で異常気象だと水先案内人が言っていました。地球温暖化の影響かもしれません。

 

 これからの航路は、南に向かいますので、急に気温や湿度が変わり、体調を崩しやすくなり、胃腸も弱ってきます。寄港地では生水や生の食品は避けてください。感染性胃腸病のもとになるので、充分にお気をつけください。
本日もどうぞお楽しみください。』

 

 ニューヨークの南東180海里(333km)を、珍しく東南方向に航行中だという。「珍しく」の意味が不明。西北西の風12m。波は1.5m。然し、うねりによる波は2.5mとなっている。つまり、風が強く、うねりはあるが、追い風と追い波なので、おおきな動揺はないという。だから、デッキランチをすると予告。ニューヨークでの風雨は、上空に低気圧があったからで、1001hpaという台風坊主のようなものだったらしい。だが、それも、ニューファンドランドへ北上したので、天候は回復するという。

 

 しかし、揺れた。洗顔していても、蛇口に額がぶつかりそうで注意が要った。

 

 未だ眠っていたかった。朝食に着替えて出るのが面倒だった。然し、デッキゴルフには行きたい。だから部屋から出た。朝食のテーブルでは、昨日ツアーバスでの行方不明客の話が出た。噂では、どうやら客の方が悪者になっている。しかし、人数を確認せずに、所定の場所からバスを走らせたスタッフ側のミスは事実だ。対応策も拙かったため、その84歳の客を悪者扱いするは気の毒だと流れに変わった。

 

 デッキゴルフは、12人となった。滑りの感覚が違っていたので、あっと驚くほどに多くが的を外した。ドボンされる回数も多かった。初戦は、最後に3:1となり、ラストのショットをミスって敵に上がられ負け。上のスポーツウッドデッキでは、デッキランチのための天幕張りが行われている。

 

 2戦目は、2ホール目から動けず、敢えて時間切れドローを狙って、ヒール役になったが、防ぎきれず、権利玉の多い白松田組に負けた。個人的には2連敗した。左肩の痛みはもう後少しで取れるだろう。

 

 3階の東ギャラリーが新しい写真と入れ替わった。ニューヨーク風景が6枚一挙掲載。昨夜は、またセレクションとカラー調整など目に悪い作業が大変だったのだろう。あの揺れの中で、である。なおさらだ。

 

1, リバティ島から迎えてくれた自由の女神。カメラを構える船客等を下部に入れ込んでのフレーム。

 

2, 雨で夜のようになったタイムズスクエアの広告ネオンボード。

 

3, MET(メトロポリタン美術館)に居たエアラインのタッグが付いたままのベビーカーに乗せられた幼児。

 

4, スポーツ店にあった松井の等身大のカット板。なるほど、ニューヨーカーに頼りにされていることが判る。

 

5, 対岸のニュージャージーから捉えたにっぽん丸とピースボート。なんと言っても、労作傑作。摩天楼を入れ込んで、2隻の日本船が埠頭に並ぶという、願ってもないチャンスをものにするために、車を走らせたのだろうと思うと、頭が下がる。ピースボートのトパース号は、翌日には姿を消すのだから、初日の晴れ間に撮っていなければ、タイミングを逸することになった。

 

6, フィフスのブランドショップ(グッドマン)のウインドーディスプレイ。人物を配して、著作権を免れている。

 

 デッキランチの海は、まだ揺れている。管井夫妻と船尾の方で反省会と称して、ナイヤガラの滝ツアーに出掛けていた荘輔さんからの報告を受けた。自然が好きな荘輔さんにとっては、ニューヨークの街作りそのものが嫌いなのだ。瀑布が窓から眺められるホテルがとても良かったという。夜は夜でその瀑布を眺めながら、酒をちびり、ちびりやって、朝は朝で、カーテンを開けて壮大な気分を味わっていたという。

 

 ヴァイキングスタイルは、チョイスできるとはいうものの、塩分の少ない料理は少ない。カレーを見つけたので、たれの濃い鰻丼はやめておいた。今日はドイツ系缶ビールが多かった。デンマークビールが美味かった。缶ビールを2本も飲んでしまった。

 

 カメラを持ってきたのだが、不思議に撮りたくならない。光が不足していて明るくないからだろうか。食事している人の服装も、寒々していてなんだか、地味だ。

 

 デッキゴルフといえば、フォードルフィンは明るいアロハシャツを着込んでいるのだが、彼らも、濃いベージュ色で中国公務員服のようだった。ウエイターもウエイトレスも、通常の服装だった。バンドについて走り回っているカメラマンの平野さんだけが、アロハ姿だった。ビールで酔った人が居るにいるが、盛り上がっている座席は少なかった。開放感がイマイチといった感じ。強い日射しは明日を待つしかないか。

 

 部屋でTVナビを見る。キャプテンがいう、追い風追い波だからだろうか、速度は21ノットまで出ている。無理してこの圏内から脱出しようと懸命に走っているように思える。チャンネルを変えて、操舵室からのカメラ映像を見る。コブのある斜面を無理矢理突っ切ろうとしているスノーモービルのようだ。

 

 PCを打とうとしても、疲れる。止めて眠る。電話で起こされた。デッキゴルフの表彰式は何時だと美子さんが訊いてきた。17時だがといって時計を見ると10分前だった。なにも手伝わないままに、リドデッキに上がってみると、菅谷、高橋、西出の三氏以外は、みな居た。西出さんは船酔いでダウンしていた。

 

 リドデッキは最上階でしかも、舳先に近い。この船の中では一番揺れる場所での飲み会だ。波の高い日でも船尾でプレイしてきたメンバーだ。さすがだ。程なく菅谷さんが上がってきた。

 

 最下位チームのリーダーだった僕が口火を切って、優勝チームを讃えた。長老のコンドル菅谷が乾杯の音頭を取り、商品授与の表彰式を行った。憎たらしき4名、高嵜、菅谷、工藤、山縣にモパスのTシャツである。割れんばかりの拍手で祝った。本田さんからのメール文を口で伝えた。

 

 次男が教えてくれたTV東京の生中継は、やはり、この船で行われていた。中島さんの奥さんの親戚が船内見学に訪れていた最中で、インタビューに答えたという。息子が、録画したとメールしてきたので、帰国後の楽しみにする。

 

 ここでも缶を飲み、昼に続いてビール腹になってしまった。

 

 このため、夕食は食欲なく、ブルゴーニュ煮の牛肉だけを食べてデザートにした。コーヒーは重いので、初めて紅茶にした。

 

 大風呂はクローズ。アントニオ古賀がニューヨーク港から乗船したのだが、そのメインショーもパスした。パジャマ姿になってPCに向かった。

 

 20時、ようやく、大風呂解禁のアナウンスが流れた。

 

 TVのニュースでは、「犬の誘拐に備えた保険とか、捜索会社が生まれて繁盛している」という。確かに、愛犬家にとっては、家族の一人?だから、人間同様に、保険があってもおかしくない。こうなると、ペット・ドックとか、ペットのペット検査とかも出て来るに違いない。

 

 明日は、一転まばゆいばかりの光の下で、南海の楽園を楽しめるか。
 ハミルトンでは、英国領だから有るだろうと、妻がサンドイッチ・スプレッドの一種を探してみたいと言っていたな。僕は専らキューピーのサンドイッチ・スプレッドを好んでつけている。捜し物のそれは、よく小説にも出てくるもので、「マーマイト」とか、「ベジマイト」とかいう。義弟がイギリス在住時代に土産にくれたものだ。

カテゴリ:続クルーズ日誌

PAGE TOP